そして父との別れ

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窓辺に置かれた小さな観葉植物の写真。柔らかな光が差し込む静かな室内の風景。 介護
静かな窓辺に、お父さんとの最期の時間を思い出す。
※この記事は当時の記録をもとにリライトしたものです。現在の状況とは異なる場合があります。

ワンが虹の橋を渡ってから3週間後、
父も静かに、上へと階段を昇っていきました。

ワンと同じように、父も看取りに入っていたので覚悟はしていたけれど、
やっぱり別れは突然で、心の準備なんてできていなかった。

昨年12月に会った時の父は、歩行はだいぶ難しくなっていたけれど、
それでも自分の足でどうにか歩けていた。
その後、施設から「救急搬送しました」と連絡があり、急いで病院へ向かった。

一度施設に戻ったものの、 「看取りに入っています」と言われ、
父も家に帰りたがっていたので、最期は家で迎えることにした。

在宅介護の準備と、父の帰宅

在宅介護の手配は、娘が全部決めてくれた。
病院勤務の彼女は仕事柄専門分野の一つで、本当に助かった。

私は何をどうすればいいのか全然分からなかった。
(一応ケアマネ資格はあるけど、宝の持ち腐れ…)

残念ながら、父はワンと会うことはできなかった。
ワンを見送った4日後に、父は家に帰ってきた。

そして3週間後、眠っているように最期を迎えた。

父は手のかからない人だった

「大変だったでしょう?」とよく言われるけど、
全然大変じゃなかった。

徘徊するわけでもなく、 在宅介護のサービスも利用していたし、
父自身ができる限り体を動かして協力してくれた。

本当に手のかからない父だった。

私は母との相性は最悪だけど、
父は面白くて優しくて、大好きだった。

だからこそ、
あんなに家に帰りたがっていたのに…
自分の不甲斐なさに嫌気がさす。

今さら言っても仕方ないけど。

施設に入れることへの葛藤

私は施設に入れることに反対だった。
父はまだ自分でトイレにも行けていたし、
「行けなくなったら考えましょう」と提案していた。

ケアマネさんも「まだ家でできる範囲です」と言っていた。

でも、日中の世話をするのは母。
私が直接面倒を見るわけじゃない。

そのことで母とは何度も険悪になった。

ただ、ひとつだけ父が施設に入って良かったと思うのは、
叩かれることがなくなったこと。

そのことでも母とは何度も喧嘩した。
ケアマネさんにも伝えていたけど、母は知らない。

葬儀のこと、家族のこと

父の葬儀でも、いろいろ腹が立つことがあった。
詳しくは書かないけど、 「もう放っておくしかないな」と思った。

娘が見かねて、ある程度は言ってくれたけど。

ただ、一言だけ言いたい。

生活に困らないようにしてくれた父に、もっと感謝しろ。

そんなんでも夫婦なんだよね。
私の知らないところで、二人の絆があったんだと思う。

葬儀屋さんが
「家で最期を迎えられるなんて、そうそうないですよ」 と言っていた。

本当にそう思う。
父は幸せな最期だったんじゃないかな。

その後の手続きと、気持ちの違い

でも、亡くなってからの手続きが多すぎて、 本当に面倒。
市役所に何回行けばいいのかってくらい。

まだ全部終わっていない。
もうイヤになってる。

父の写真を見ると目頭が熱くなるけど、
不思議と「悲しい」という感情は強くない。

ワンとは違う。
ワンのことは胸が痛くて苦しくて涙が出る。
だいぶ落ち着いたけど、まだ引きずっている。

先日、父の49日法要が終わりました。

今頃は、ワンも父も、 元気な体で一緒に散歩しているのかもしれない。

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